極真の精神

極真とは、「千日をもって初心とし、万日をもって極みとする」という武道の格言から発した名称です。完成はないと言われるほどの、厳しく険しい武道の真髄を極める意です。
「頭は低く目は高く、口慎んで心広く、孝を原点として他を益す」とは、創始者である故大山倍達自身が、長年の厳しい修行人生の中で確立した極真精神です。
要約 : 常に謙虚な姿勢で、夢は大きく志を高く持って、人に優しく思いやりの心を持ち、親に対して尊敬の念と孝行心を持ち、感謝する気持ちを忘れずに、社会に奉仕する精神を持つ

極真の定義

点を中心に円を描き 直線はこれに付随するものなり


道場訓

一、吾々は心身を錬磨し確固不抜の心技を極めること
私達が空手を修行する目的は、自分自身の体と心を鍛えることにあり、真剣に稽古に打ち込むことでどんなことにも動じない心と強い意思といった物を習得していかなければならない。
一、吾々は武の神髄を極め機に発し感に敏なること
私達は武道として空手の道を徹底的に追求していくことで、どんな状況でも臨機応変に対応する力と相手の心を理解する思いやりや優しさ、どんなことにも素直に感動できる心を身につけなければならない。
一、吾々は質実剛健を似て克己の精神を涵養すること
私達は自分を飾ることなく、真面目で素直に空手の修行に 打ち込むことによって、自分自身に打ち勝つ強い心を養っていくことを心がけなければならない。
一、吾々は礼節を重んじ長上を敬し粗暴の振舞いを慎むこと
私達は礼儀を身につけ、 目上の人を敬い、人前で空手の力を誇示するような行動をとってはならない。
一、吾々は神仏を尊び謙譲の美徳を忘れざること
私達は人間の力の及ばない自然や宇宙の摂理を重んじ、神や仏を敬い相手の事を大切にし自分を謙遜する態度を忘れてはならない。
一、吾々は智性と体力とを向上させ事に臨んで過たざること
私達は空手の修行によって、ただ肉体を鍛えさえすればいいというものではなく、知性と力をともに向上させなければなりません。それによってどんな状況でも焦らず、冷静に対処することが出来るようになるのです。
一、吾々は生涯の修行を空手の道に通じ極真の道を全うすること
武道として空手の修行は一生かけて追い求めるものです。
一生を通じて極意に一歩でも近づこうとする姿勢、それが極真空手の本義なのです